先日、とある人が、「虐待」について話してくれた。
虐待と聞けば、誰かをなぐったり、または言葉の暴力を用いて
人を傷つけることだと思っていたが、私にとって、結構衝撃的な
虐待の定義を教えてもらえた。
1) 誰かが、あなたの嫌がることを繰り返しさせるなら、それは虐待です。
2) あなたが、誰かの嫌がることを繰り返しさせるなら、それは虐待です。
3) あなたが、あなたの嫌がることを繰り返しさせるなら、それは虐待です。
虐待とは、肉体や言葉を使って初めて成立するものではなく、
嫌なことを、1)他人から、2)他人に対し、3)自分に対し させることを
虐待というのだいう。
もし、誰かから、自分の嫌がることをされていたら、どんなに小さいこと
のように見えても、それは、立派な虐待なのだから、嫌なことは嫌だと
ハッキリ伝え、やめてもらわなくてはいけない。
同様に、私たちも、人が嫌がることを、怒ったり、スネたりすることで
無理やりやらせると、それは虐待になる。
例えば、「買い物に付き合って~♪」 と、パートナーや友達などに頼んだ
とき、「今日は疲れてるからダメ」 といわれたら、怒るという行為を用いて
無理やり連れ出そうとするのも、相手を虐待していることになる。
また、パートナーや友達が社交的でないことを指摘して、「もっと人前に
出なきゃダメよ!」なんて繰り返し言って、相手が嫌がっているのに、
パーティーに連れ出そうとすることも、虐待になる。
相手の意志を尊重して、自分の思うとおり、動かすことを止める必要がある。
そして、三番目の虐待は、中々、自分では気づかないが、一番大切だと
いえる。
私たちが、何かをしたくないと強く思ったとしても、相手に悪いとか、人から
嫌な人だと思われるなどと考えて、仕方なく自分に我慢させていることは
結構多い。
でも、それは自分自身を虐待することなのだから、勇気を持って
やめなくてはいけないのだ。
例えば、ああ… この人の愚痴はもう聞きたくないなぁ…と思いつつ、
「あなたも大変ね~ 分かるわ~」 なんて、相槌をうつことは
自分にとって、立派な虐待なのだ。
一番目の虐待とも重なるが、相手にもそれを伝えて、嫌なことを
自分に対して、しないように、お願いしなくてはいけない。
私たちは、知らず知らずのうちに、虐待ということを身近なものに
している。 だから、虐待したことのない人などありえないといえる。
私に関していえば、自分がやりたいことにはとても敏感で、やりたい
ことを自分にさせてあげることは、出来ている。
でも、やりたくないことに関しては、かなり鈍感で、知らず知らずの
うちに、自分にそれをやらせ続け、自分を痛めつけていることがある。
どんなに疲れていても、他人に笑顔で接したり、がんばって動いたり
してしまうことが頻繁にあり、それは虐待なのだと分かった。
だからといって、ムスッ!と怒ったようにする!といってるわけではなく、
「今日は疲れているから、ちょっと無表情だけどゴメンね~ 気にしないで」
と、ひとこと断っておけばいいのだ。
そうすれば、相手だって、自分のせいで、機嫌が悪いのではないから
ほうっておいてくれるだろう。
伝えるということさえ、面倒がらず、怖がらずに行えば、自分らしく
いれると思う。
自分らしく生きるためには、心の声に敏感であることが不可欠だから
もう1度、自分は何を嫌がっているのか、ちゃんと自分のNOサインに
注意してみようと思った。
自分自身を含む、誰に対しても、虐待はやめると決心することだ。
みなさまも STOP・虐待 強化運動を♪
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